システム開発で能力を発揮する

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新卒で就職した会社は、関東・東北を拠点とする中堅の運送会社でした。

大卒の同期入社のメンバーは、それぞれ
本社管理部門と各営業所の営業マンとして配属されていきました。

自分は希望であった、本社情報システム部に配属されました。

1995年当時の運送会社の貨物輸送システムは、

汎用機と呼ばれる1台数千万という富士通製の巨大なメインフレームコンピュータが
本社の電算室という別棟に置かれて(今で言うサーバルーム)
そこから専用線で各営業所の端末であるオフコンにつながっていました。

電算室には、メインフレームコンピュータの他に、
それを監視するコンソールや1分間に何百枚も印刷できる巨大な連帳式プリンター、
磁気テープ読み取り装置、端末となるオフコンなどが数台あり、
コンピュータに囲まれたバビルの塔のようでした。

オープンリールMTやペラペラの5インチフロッピーなど懐かしい!

昼間は、荷物伝票の登録・更新・問い合わせのオンライン処理に
夜間は、日次バッチ(一括)処理に
月に1回は、入金や請求などの月次バッチ処理にシステムを運用していました。

夜間のバッチ処理を運用・監視するため、夜勤もありました。

夜勤は独身男性システム部員が交代で毎月1週間の夜勤シフトがありました。

夜中に一人、電算室にこもってシステムを監視するなんて
さみしくて、暗く、恐ろしいと思われますが、
定期処理の起動や停止以外は、することがなく
ソファーで漫画を読んだり、TVを見たり、仮眠したりと気楽なものでした。

先輩社員などは、プレステを持ち込んだり、ギターやトランペットを練習したりと
結構自由にやっていました。

ただシステムトラブルが発生すると黄色い警告ランプが点滅し、
原因究明と対処を一人でしなければならないので、緊張しました。

新人だった自分は、解決できないトラブルも多く、
夜中に先輩の家に電話をかけて、教えてもらいながら対処をしたものです。

このオンラインシステムは、COBOLというプログラミング言語で開発されていました。

なので、まず最初の仕事はこのCOBOLの習得でした。

大学のときの授業で、PASCALという言語でプログラミングを少しやっていたので
手続き型の構造化プログラミングのCOBOLを短時間で習得できました。

入社1ヶ月後くらいから簡単な帳票印刷処理などを開発させられていました。

とはいえ、新人なので失敗も多く、
コンパイルというプログラムの文法チェックが通らなくて、処理が動かなかったり、
動いたとしても、ループといって、今度は処理が永遠に止まらなかったり、
印字に失敗し大量に用紙を無駄にしたりしていました。

いろいろ失敗を重ねつつも、自分が作ったものが動いて、
それが会社やお客さんの役にたって、お給料がもらえるということに
ものづくりの楽しさ、仕事の楽しさを味わうことができました。

パソコンやITなどを苦手とする人も多いですが、
自分はシステム開発やITの仕事に向いているんだなと
社会人になって、自信を持てるようになりました。

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