高校2年の3月、まもなく3年生となり
大学受験に入ろうとする頃に、父親が亡くなりました。
仕事中に倒れ、その翌日、帰らぬ人となりました。
大学受験を1年後に控え、ショックは大きかったです。
経済的なことを考えて
一時は、大学進学をやめようかとも考えましたが
しかし、母親がフルタイムで働いてくれて
また退職金と遺族年金、奨学金で
なんとか大学に行くことができました。
当時は、バブル景気真っ最中で、
証券会社が人気の職種で、経済学部への進学を希望する
学生が多かったです。
好景気により、母親の仕事もあり、
預金金利も高かったため
バブルの恩恵を受けて、進学ができましたが、
バブリーな生活とは、全くかけ離れていました。
このとき派手な生活や投資を行わなかったことが
後にバブルが弾けたときにも影響がなく
堅実に過ごせることになるのですが・・・
父親は、私が小学校低学年のときに
信用金庫の金融マンから六本木のフラワーショップ
へ転職しました。
このお店、今も六本木ヒルズの隣にあります。
そこで10年以上、花の仕入れや配達を行ってました。
サラリーマンでしたが、オフィフ勤めのホワイトカラーではなく
花屋の店員、兼ドライバーでしたので、
子供でもどんな仕事をしているか分かりました。
たまに、仕事に連れっていってくれて、
仕入れや配達のお供をしたこともありました。
お花も好きで、家にも花がいっぱいでした。
車の運転も好きで、よくオートキャンプやドライブに連れていって
くれました。
なので花屋の配達ドライバーという職業は、
好きなことができて相に合っていたのだと思います。
いつかは独立して、お店を持とうとしていたようです。
自分もそんな血をひいているのかもしれません。
車の運転は嫌いですが(^^;)
まだまだ社会のことを知らない高校生の自分にとって
これから、父親にいろいろ教えてもらおうと思っていたときに
突然、亡くなってしまったことで、
なにも知らないまま、厳しい社会に放り出された気持ちになりました。
ここで、自分のことは自分でがなんとかしなくては、
という大人としての自覚・責任感が芽生えた瞬間でした。
ここからしばらく試練の期間を迎えることになるのでした・・・
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